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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)9258号 判決

原告

佐藤忠正

右訴訟代理人弁護士

鴨田哲郎

仲田晋

白井劍

被告

学校法人明治大学

右代表者理事長

後藤信夫

右訴訟代理人弁護士

岡村了一

前嶋繁雄

鈴木勝利

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金二四〇六万六一九〇円及び別紙(一)(略)未払賃金目録支給額欄記載の各金員に対する同目録支給日欄記載の支給日の翌日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二主張

一  請求原因

1  被告は、明治大学、明治大学短期大学、明治大学付属明治高等学校、明治大学付属中学校の四つの学校を設置する学校法人である。

2  原告は、昭和四二年四月二五日日本合成ゴム株式会社(以下「日本合成ゴム」という。)常務川崎某を代理人として明治大学工学部教授で被告の代理人である内田章吾との間において、被告理事会の承認を条件とし、被告の明治大学工学部教授に就任する旨の雇用契約を締結した。

仮に同日右契約が締結されなかったとしても、遅くとも原告が自己の履歴書、業績書等を被告に提出した同年五月一八日ころまでに、又は同年一〇月一日に同旨の雇用契約を締結した。

3  昭和四二年七月二二日以降被告理事会において原告を採用することが承認され、一〇月一日右雇用契約が発効した。

4  原告は昭和四二年一〇月一日から被告の明治大学工学部工業化学科大学院専修科目担当教授として就労した。

5  原告の昭和六一年度(昭和六一年四月一日から昭和六二年三月三一日までを指す。以下同趣旨で用いる。)及び昭和六二年度の賃金は別紙(二)(略)記載のとおりである。

また被告では毎月の賃金のほかに期末手当として夏期手当、冬期手当及び年度末手当が支給され、また年末一時金が支給されている。期末手当の支給額は、給与規程によって、夏期手当及び冬期手当についてはそれぞれ基準給与月額の二・六か月分(基準給与は本俸、勤続給及家族給の合計額)、年度末手当は本俸月額の〇・四か月分と定められている。年末一時金については被告と明治大学教職員組合との協定によって支給基準が毎年定められるが、昭和六一年度は、本俸の〇・七一か月+一〇二、〇〇〇円+家族給三か月分と、同六二年度は、本俸の〇・七一か月+一〇四、〇〇〇円+家族給三か月分とそれぞれ協定された。したがって、原告の右各年度の期末手当等の支給されるべき金額は別紙(一)未払賃金目録の各該当欄記載のとおりである。

被告の賃金は毎月末日締切、当月二〇日払いであり、昭和六一、六二年度の期末手当の各支払期日は、夏期手当が六月二五日、冬期手当が一二月一〇日、年末一時金が一二月二五日、年度末手当が三月三一日である。

6  よって、原告は被告に対し、別紙(一)未払賃金目録記載の昭和六一年四月一日から昭和六三年三月三一日までの賃金、各手当の合計金二四〇六万六一九〇円及びこれに対する弁済期たる同目録支給日欄記載の日の翌日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、原告と被告との間において原告が明治大学工学部の教授に就任する旨の雇用契約を締結した事実は認めるが、右契約は昭和四二年一〇月一日に締結されたものである。

被告の明治大学工学部において専任教員を採用する場合は、工学部専任教員推薦内規にしたがい、次の手続を経て採否が決せられる。

(ア) 専任教員を補充または増員すべき必要が生じたときは、学部長は教授会にその担当範囲を明示して、期限を定めて候補者の推薦を求める。

(イ) 当該担当学科(原告の場合は工業化学科)で候補者の選任をし、学部長あて推薦する。

(ウ) 候補者の推薦があったときは、学部長は教授会に専任教員選考委員会を設けるか否かを問う。

(エ) 教授会において選考委員会の設置を可としたときは、選考委員会委員の選出を行う。

(オ) 学部長が議長となり、選考委員会の審議が行われる。

(カ) 選考委員会は、推薦された者について投票を行い、過半数の同意を得た場合は、その結果を議長が教授会に報告する。

(キ) 右教授会の召集通知は、教授会員に対し一週間以前になされなければならない。

(ク) 教授会では、選考委員会議長の報告を聞き、また主査からの説明も聞き、慎重に審議した上で、教授会員による無記名投票を行う。この教授会の定足数は三分の二以上である。

(ケ) 出席教授会員の四分の三以上が可とした場合、右推薦された者は始めて「専任教員予定者」と定められる。

(コ) 学部長は、禀議書をもってこれを学長に報告する。

(サ) 学長は、理事会に対し専任教員採用の申請をし、理事会は可否を決する。

(シ) 理事会の決定がなされたなら、辞令が交付され採用に至る。その際、明治大学の停年規則、給与規程等諸規則が手渡される。

以上の諸手続のうち、専任教員採用の可否について重要かつ実質的な審議がなされるのは工学部教授会において設置される選考委員会とその後に開かれる教授会においてである。しかるに原告主張にかかる契約締結の時点即ち昭和四二年四月二五日及び同年五月一八日は、工業化学科内で候補者の選任をした段階にすぎず、未だ学部長に対する推薦もなされていない段階であって、選考委員会及び教授会の議を経ていないのであり、かかる状態で雇用契約が締結されることはあり得ない。したがって本件雇用契約は同年一〇月一日に締結されたものである。

3  同4の事実は認める。

4  同5の事実中、被告における賃金の計算方法、支払期日、各手当の支払期日は認めるが、その余の事実は否認する。

なお、原告がその主張の期間その身分を有していたと仮定した場合、原告の賃金は昭和六一年度は一か月金六二万四九〇〇円、昭和六二年度は一か月六三万五四〇〇円となる。

三  抗弁

被告は昭和三二年一二月一三日に制定した学校法人明治大学教職員停年規則(以下「停年規則」という。)第一条、第二条本文において、体育実技担当以外の教員の停年を満六五年とし、教員は停年に達した日に退職する旨、第三条において、大学院の専修科目を担当する教授が停年に達した場合、その担当科目につき後任者を得難いときは、別に規程で定める委員会の意見を聞いて五年内に限り停年を延長することができ、その期間は一年毎に更新する旨、第二条但書において、右いずれの場合においても必要と認める場合には当該年度の末日まで停年を延長することができる旨それぞれ定めている。なお右停年延長の手続は次のとおりである。

(ア)  翌年度中に停年に達する者について、その者が属する大学院の専攻(原告の場合は工業化学専攻)内において教授、助教授が停年延長をするか否か、延長する場合同規則第二条但書による延長(年度内延長)か第三条による延長(一年間延長)かを審議し、その結果を工学研究科委員会(明治大学大学院学則第一一条に基き各研究科に設置された委員会で、当該研究科の授業および研究指導を担当する教授および助教授をもって組織され、研究指導に関する事項および教員の人事に関する事項等を審議決定する機関)に提案する。

(イ)  工学研究科委員会で審議決定ののち、大学院委員会(同学則第一一条に基き大学院に設置された委員会で、大学院長、各研究科委員長および各研究科から選ばれる各一名の大学院委員をもって組織され、各研究科に共通な事項、事務組織および大学院の学事に関する事項等を審議決定する機関)に提案する。

(ウ)  大学院委員会で審議決定ののち、大学院長から工学部長あてに、工学部教授会の議を経て理事会に対し停年延長の手続をとるよう依頼する。

(エ)  工学部長は、右依頼に基き該当者が所属する学科(原告の場合は工業化学科)の教室会議に審議を付託する。

(オ)  工業化学科で審議決定した後、工業化学科長から工学部長に停年延長の理由書を提出する。但し、停年規則第二条但書による年度末までの停年延長者については、この理由書は必要としない。

(カ)  工学部長は工学部教授会に対し、停年延長の可否を付議する。

(キ)  工学部教授会は、右付議事項について慎重審議のうえ、停年規則第二条但書ないしは第三条による停年延長を理事会に申請することを議決する。

(ク)  工学部長は、右教授会の審議の結果に基き、理事会に対し禀議書をもって停年延長の申請をなす。

(ケ)  理事長は、停年規則三条による停年延長者について、同条に基く委員会を諮問する。

(コ)  三条委員会は、慎重審議の結果、停年延長を適当と認める旨の結論を得た場合、理事長にその旨答申する。

(サ)  理事会は、右答申を参考に慎重審議のうえ、工学部長からの停年延長の申請を承認決定し、辞令を交付する。

2 原告は、大正六年一一月二二日に出生したものであるため、昭和五七年一一月二二日をもって満六五年に達したが、昭和五七年ないし昭和五九年の各四月一日までに停年規則第三条により前記の各手続を経た上、各一年停年が延長され、さらに昭和六〇年四月一日までに停年規則第二条但書により停年を昭和六一年三月三一日まで延長された。しかしその後は停年規則に基づく停年延長の措置はとられていない。

3 したがって、原告は昭和六一年三月三一日の経過により退職したものである。

四  抗弁に対する認否

抗弁1、2の事実は認める。

五  再抗弁

1  原告は、昭和四二年三月一八日に前記内田の依頼を受けた東畑平一郎より、同年四月八日に被告の明治大学工学部教授吉弘芳郎より、それぞれ被告の明治大学工学部における教員の停年は満七〇年であるとの説明を受け本件雇用契約を締結したものであるから、本件雇用契約は停年を満七〇年とするものである。したがって、被告が昭和六一年三月三一日をもって原告を工学部大学院専修科目担当教授の地位から退職させたことは右約定に違反し無効であり、原告は昭和六三年三月三一日までその身分を有していたものである。

2  被告の明治大学工学部においては大学院専修科目担当教授は、満六五年の停年に達した後も、本人が退職を希望しない限り、停年が延長され、右延長は一年毎に更新されはするものの自動的かつ事務的になされて満七〇年に達する年の年度末までその地位を失わないとする慣行が確立していたものであり、その状況は別紙(三)記載のとおりである。したがって、被告が前記日時をもって原告を退職させたことは権利濫用であり無効であるから、原告は昭和六三年三月三一日までその身分を有していたものである。

3  被告が昭和六一年三月三一日をもって原告を退職させたことは、次のような事情が存する以上、権利の濫用であり無効であるから、原告は昭和六三年三月三一日までその身分を有するものである。

(一) 原告は東畑平一郎及び吉弘芳郎から被告の明治大学工学部大学院専修科目担当教授の停年は満七〇年であるとの説明を受けて雇用契約を締結したものであって、右停年についての説明は雇用契約締結に至る意思決定の重要な要素となっている。

(二) 被告の教職員間においても少なくとも大学院専修科目担当教授の停年は満七〇年であるとの認識が一般化しており、また被告においては昭和五五年一月教職員組合に対し、大学、短期大学の教員の停年を満七〇年にすることを提案しており、さらに昭和六二年四月一日からは右教員の停年が満七〇年に改定されたが、僅か一年の差で原告は右規定の適用を受けられなかったものである。

(三) のみならず、原告について昭和六一年三月三一日をもって退職させることを決めた停年規則第二条但書による延長申請手続は適正手続に違反するものである。即ち、右規則第三条によれば停年延長は「後任者を得難いとき」になされるものであるが、昭和五九年七月一三日開催の工学研究科委員会、同年一〇月二六日開催の工学部教授会、同年一一月六日開催の臨時学部協議会、同月九日開催の臨時教授会において原告の停年延長について「後任者を得難い」場合に該るか否かをめぐって実質的な審議がなされたことはないし、その後の教授会においても同様である。

(四) 原告の停年延長手続については、昭和五九年一一月九日教授会までの段階、すなわち原告につき規則第二条但書による申請をなす旨教授会が決定するまでの間、原告は反論・弁解の機会を全く与えられなかったし、右決定後の同年一二月一四日教授会の際にも、原告は議長に対して反論のために資料の配布の許可を求めたが許されなかったものである。したがって、原告を昭和六一年三月三一日をもって退職させる旨決定した停年延長手続は、適正な手続保障の要請に違反していると言わざるをえない。

(五) さらにまた、昭和五九年の教授会決定とそれに基づく原告への辞令は、昭和五六年一〇月三〇日の教授会決定に違反している。即ち、昭和五六年一〇月三〇日被告工学部教授会において、その翌年に新規に停年に達する教員の延長申請についてのみ投票によることを決定し、すでに停年到達の際に投票による停年延長手続を経ており、その翌年度から更新手続をおこなう教員については、投票をおこなわず、停年該当者自身を会議から退席させることさえしないで、誰からも異議がでなければ更新を承認するという形で、事務的に延長手続をおこなうこととしたものである。したがって右の教授会決定は、停年(六五才)到達の際に投票により停年延長を決定すれば、五年間その効力を有する、ということを前提とするものである。したがって原告を昭和六一年度で退職させる旨の教授会決定は、前記五六年の教授会決定に違反してなされたものである。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の事実は否認する。被告の明治大学工学部大学院専修科目担当教授の停年は停年規則により当時満六五年と定められており、被告がかかる規則を無視して原告主張の約定を締結することはあり得ない。また内田章吾及び吉弘芳郎は当時工学部の教授の職にあったものであるから右規則を知悉しており、同人らが東畑や原告に対し停年が満七〇年であるという筈がない。また被告は辞令交付の際、停年規則、給与規程等を原告に交付し、停年が満六五年であることを明示している。

2  同2の事実は否認する。昭和四一年以降の被告理事会における停年規則第三条による停年延長の状況は別紙(四)記載のとおりであり、停年延長申請対象者のうち、満六五年に達した者の停年延長の可否は別紙(五)のとおりであり、また既に一年間の停年延長を認められその更新を申請した者の更新の可否は別紙(六)のとおりである。なお右各表の非手続者のうち、停年の延長を希望したが教授会で承認されなかった者は、昭和五三年度に新たに満六五年に達した者のうち一名、昭和六〇年度の更新希望者のうち一名合計二名であり、さらに一年間の延長申請を希望しなかった者の中には延長申請を希望しながらその担当科目につき「後任者を得難いとき」という停年規則第三条の要件に該当しないため他の教授から個人的に説得されて断念した者が相当数含まれている。

右の事実から明らかなとおり停年延長を希望した場合にも教授会の承認が得られず停年延長を断念した者がいた事実、理事会で延長が認められなかった者がいた事実に照すと原告主張の慣行が存在しなかったことは明らかである。

3  同3の事実は、被告においては昭和六二年四月一日から明治大学及び同短期大学の教員の停年が規則上満七〇年に改定された事実を除き、全部否認する。

第三証拠(略)

理由

一  被告が原告主張にかかる学校法人であること、原告と被告との間において遅くとも昭和四二年一〇月一日に原告主張の雇用契約が締結されたこと、原告が昭和四二年一〇月一日から被告の明治大学工学部工業化学科で大学院担当教授として就労していたことは当事者間に争いがない。

二  原告は、本件雇用契約は昭和四二年四月二五日もしくは同年五月一八日ころまでに締結されたとも主張し、原告本人尋問の結果中には右主張に副う供述が存し、(証拠略)によれば、昭和四二年三月一八日に当時被告の明治大学工学部の講師であり中央大学理工学部の教授であった東畑平一郎が右工学部教授内田章吾の依頼を受け、原告に対し、工学部教授に就任するか否かを問い、さらに同年四月八日工学部教授である吉弘芳郎も原告に対し工学部教授に就任するための労働条件等につき説明をしており、同月二五日原告の代理人である日本合成ゴムの川崎常務が内田に対し、原告に工学部教授に就任する意思のあることを伝えていること、その後原告は被告の求めに応じ同年五月一八日ころまでに履歴書、業績書等を提出し、同年七月二二日に工学部教授会において原告の採用が承認され、次いで学部長会、理事会において原告の採用が順次承認されたこと、なおこれより先の同年五月八日工学部工業化学科桜井高景が原告に対し工業化学科教室教員全員との懇談会に出席するよう要請していること、以上の事実が認められ、右各事実を総合すると、原告主張の前記各期日のいずれかに本件雇用契約が成立したものと推認し得なくもない。

しかしながら、(証拠略)を総合すれば、当時、被告の明治大学工学部において専任教員を採用する場合は、被告主張の工学部専任教員推薦内規に従いその主張にかかる手続を経て行われていたこと、原告の採用も右内規に定めた慎重な手続を経て行われ、昭和四二年一〇月一日に原告に対し辞令が交付されていること、なお、前記採用手続のうち最も重要な機能を営む機関は、即ち専任教員の採否を事実上決するのは、工学部教授会及び同教授会が設置する選考委員会であるが、原告の採否につき選考委員会の議を経、さらに教授会の審議を了したのは同年七月二二日であること、以上の事実が認められる。

したがって、右事実によると、原告が本件雇用契約成立の時点と主張する前記各期日は少なくとも教授会の審議及び表決の未だなされていない時点であることが明らかであり、これに前記採用手続が極めて慎重かつ厳格に定められている事実を併せ考えると、東畑及び吉弘の原告に対する前記折衝は、被告の明治大学工学部教授に就任する意思があれば、教授の候補として推薦するため、原告に就任意思の有無を確認するため行われたもの、いわば雇用契約締結のための準備的行為の域を出なかったものと見るべきであり、川崎の内田に対する前記原告の意思の伝達は本件雇用契約の申込に該るものというべきである。したがって、本件雇用契約は前記内規に定められた諸手続が完了した後の昭和四二年一〇月一日に成立したものであって、原告主張の前記各期日に停止条件付で右契約が成立したものということはできない。原告主張の右各期日に本件雇用契約が成立したとする原告本人尋問の結果は措信できず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

三  抗弁事実、即ち、被告がその主張にかかる停年規則を有していたこと、右規則第一条、第二条本文において、体育実技担当以外の教員の停年を満六五年とし、教員は停年に達した日に退職する旨、第三条において、大学院の専修科目を担当する教授が停年に達した場合、その担当科目につき後任者を得難いときは、別に規程で定める委員会の意見を聞いて五年内に限り停年を延長することができ、その期間は一年毎に更新する旨、第二条但書において、右いずれの場合においても被告が必要と認める場合には当該年度の末日まで停年を延長することができる旨それぞれ定められ、また停年延長に関する手続が被告主張のとおり定められていたこと、原告は、大正六年一一月二二日に出生したものであるため、昭和五七年一一月二二日をもって満六五年に達したが、昭和五七年ないし昭和五九年の各四月一日までに停年規則第三条により前記の各手続を経た上、各一年停年が延長され、さらに昭和六〇年四月一日までに停年規則第二条但書により停年を昭和六一年三月三一日まで延長されたこと、しかしその後は停年規則に基づく停年延長の措置はとられていないこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

四  原告は、本件雇用契約にはその停年を満七〇年とする約定が存したものであるから、被告が昭和六一年三月三一日をもって満七〇年に達しない原告を停年により退職させたことは無効である旨主張するので検討する。

1  (証拠略)、前掲証人東畑の証言、原告本人尋問の結果によれば、東畑が前記内田章吾の依頼を受けて昭和四二年三月一八日に原告と面談した際、停年は満七〇年である旨説明したことが認められ、さらに原告は、本件雇用契約を締結するに当たって当時勤務していた日本合成ゴムの賃金及び停年(満五五年)と教授就任要請のあった被告明治大学、東京理科大学(停年満六五ないし七〇年)、名古屋工業大学(停年満六三ないし六五年)の労働条件を勘案した結果、明治大学工学部教授に就任した場合、賃金額の低下は免れ難いが、満七〇年を停年とするものである旨の前記申出を考慮しこれを受けて契約を締結した旨供述している。

2  しかしながら、被告明治大学工学部の大学院専修科目担当教授の停年が当時満六五年と規定されていたこと前記のとおりであるから、右規定に反し特に原告との雇用契約において停年を満七〇年とする約定を締結することは、特段の事情がない限りあり得ないことであるところ、前掲証人大矢、同東畑の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、東畑は被告から原告と雇用契約を締結する権限を与えられていたものでも、停年を満七〇年と説明することを許容されていたわけでもなく、しかも東畑と原告の折衝が本件雇用契約締結のための準備行為にすぎないこと前記のとおりであるから、東畑の前記説明があったこと及び原告が右の言を信じて本件雇用契約を締結したとしても右事実のみから直ちに右契約に停年を満七〇年とする特約が存したとすることはできない。他に本件雇用契約に右特約が存したことを認めるに足りる証拠はない。

3  なお、原告は、昭和四二年四月八日に前記吉弘芳郎と面談した際同人もまた右工学部大学院専修科目担当教授の停年を満七〇年と説明し、原告はこれを受けて本件雇用契約を締結した旨供述するが、(証拠略)によれば、原告が当時使用していた昭和四二年度用の手帳の昭和四二年三月一八日の欄即年は七〇歳である旨の記載があるにもかかわらず、吉弘と面談した同年四もかかわらず、吉弘と面談した同年四月八日の欄にはその旨の記載は全くないことが認められ、しかも原告の前記供述によれば、停年が何歳であるかは原告にとり重大な関心事であったのであるから、もし吉弘との面談の際、停年を満七〇年とする話が出たならば、それも被告明治大学工学部の正教授であった吉弘から右の話が出たものであるならば、当然前同様手帳に記載するはずであるにもかかわらず、前記のようにその記載がないことを考慮すると、吉弘が原告に対し停年を満七〇年とする旨の説明をしたとの原告の前記供述は極めて疑しく到底措信し得ないものであるといわなければならず、他に原告の右供述を裏付けるに足りる証拠はない。

4  したがって、本件雇用契約に原告の停年を満七〇年とする約定が存したとすることはできず、右約定の存在することを前提とする原告の主張は採用できない。

五  原告は、被告明治大学工学部においては大学院専修科目担当教授の停年を満七〇年とする慣行が存在したものであるから前記日時をもって原告を退職させたことは権利の濫用であり無効である旨主張するので検討する。

1  (人証略)及び原告本人尋問の結果中には右主張に副う部分が存しないわけではない。

2  また昭和四九年度ないし昭和六〇年度における停年到達者数及び停年延長者数が別表(四)のとおりであることは被告の自ら認めるところである。

さらにまた(証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、昭和四五年から昭和五三年にかけて被告明治大学工学部の工学研究科委員会の席上で大学当局から大学院の人事計画のための資料として配付された大学院工学研究科教員(専任)一覧表に記載された大学院専修科目担当の教授についてはすべて満七〇年を経過した後の時点において停年になる旨記載されていること、工学部教授会においては昭和五七年度以降大学院専修科目担当教授の停年規則第三条に基づく停年延長につき満六五年に達する際に投票によりその可否を決するが、教授会において一旦停年延長が認められた場合、次年度よりは投票によらずして停年延長の可否を決していたこと、昭和五五年一月に被告理事会が提示した停年制度の改正試案について明治大学教職員組合発行の組合ニュースが大学院担当教員の事実上の停年は満七〇年であり、同人らにとり右改正試案は実質的には現行規定からの後退になると評していること、右組合は昭和四六年の春闘要求の一つとして大学院担当教員の特権の廃止を掲げその特権の一つとして停年延長の特権を指摘していること、以上の事実が認められ、さらに(証拠略)原告本人尋問の結果中には、工学部教授会においては昭和五七年度以降一旦第三条による停年延長が認められた者につき以後停年延長申請につき実質的審議を行わず、形式的事務的に第三条による停年延長申請が認められていた旨の記載ないし供述が存しないわけではない。そしてまた前掲証人西山の証言中には、大学院の専修科目担当教授については本人が希望しない限り満七〇年になった年の年度末まで退職させないとする運用が停年規則についてなされて来ており、昭和五九年七月一三日の工学研究科委員会において原告の停年延長を規則第二条但書によって行う旨決定された際、西山は原告が満七〇年に達したのかと錯覚した旨の供述が存し、また同証言によると、工学研究科委員会から大学院委員会に対し右の停年延長申請がなされた際大学院事務局から右委員会事務局に満七〇年に達しない原告について停年規則第二条但書による延長申請がなされるのは誤りではないかとの問合せがあったことが認められる。

しかして、右認定にかかる事実を総合すると、大学院専修科目担当教授の殆んどが満七〇年に達した年の年度末に退職しており、さらに当時被告明治大学の教職員の間において右教授は満七〇年を停年とするものであるとの認識を有していたものが少なくなかったといえなくはない。

3  しかしながら他方、大学院専修科目担当教授の停年の延長については前記のように厳格な手続が定められており、(証拠略)によれば、昭和三三年度以降昭和六〇年度に至るまでは停年延長申請者合計七四三名中、昭和三三年度、同三五年度、同四二年度、同四六年度ないし同四九年度、同五一年度ないし同六〇年度を除く一一年度に亘り毎年一名ないし四名合計二一名につき停年延長申請が否決されていることが明らかであり、(証拠略)によれば、被告明治大学工学部においては延長申請者がある場合には常に前記規則に則って慎重な審査が行われていて、自動的かつ事務的に処理されているものではなく、殊に昭和五三年一一月一〇日に開催された工学部教授会においては、昭和五五年度より停年延長の可否についてはその重要性に鑑み新規採用の場合と同じく毎年投票によりこれを決することとする旨の決議がなされ、昭和五四年一〇月二六日開催の教授会においては、右と同様の方式をとることを確認した上、一二名の停年該当者の停年延長申請につき審議の結果第二条但書による延長申請者二名については全会一致で、第三条による延長申請者一〇名については投票の結果延長申請をなす旨決していること、また昭和五六年一〇月三〇日開催の教授会においては、昭和五七年度以降当該年度中に満六五年の停年に達した者の延長申請についてのみ投票により決することとし、二回目以降の延長申請者に対しては、一年毎に、但し投票によらずして審査するとされたけれども、右は停年延長申請者の属する専攻内の意向を尊重する趣旨でなされたものであって、投票による停年延長に関する決定が五年間有効とする趣旨でなされたものではないこと、現に、原告の停年延長問題については昭和五八年六月ころから審議されたが大学院工業化学専攻内会議において意見が分れ、論議の末第三条申請を認めることとしたが、昭和六〇年度の停年延長問題を審議した昭和五九年七月一三日の工学研究科委員会においては原告の業績等を検討の末全会一致で第二条但書申請によることとされ、同月二六日の大学院委員会においてもその旨決せられていること、以上の事実が認められる。(証拠略)、原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信しない。

しかして、右認定にかかる事実によると、被告明治大学工学部における停年延長手続は、工業化学科専攻内会議、工学研究科委員会及び工学部教授会による審議及び表決を除いて相当形式化しており、また教授会においても昭和五七年度以降、既に一度停年を延長された者についての停年延長に関する決定は投票によらずできるだけ全会一致で決議すると定められるなどこれまた若干形式化しているといわなければならないものの、当該対象者の属する専攻内会議(原告の場合は工業化学科専攻内会議)、工学研究科委員会及び教授会殊に前二者においては慎重かつ実質的な審議が行われていたというべきであり、また前掲証人大矢の証言によれば、右二者以外の機関における審議も当該対象者を最も的確に評価しうる専攻内及び工学研究科委員会の意向を尊重する意図の下に行われたため、若干形式化していたにすぎないものであることが明らかである。したがって、被告明治大学工学部における停年延長手続を総合的に評価するとき、十分な審議が行われているというべきであって、これが形式化し原告主張のように安易な方法がとられていたとすることは到底できない。のみならず大学院は学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて文化の進展に寄与することを目的とするところであり、また大学は学術の中心として広く知識を授けるとともに深く専門の学芸を教授研究すること等を目的とするところであって、右教授研究の任にあたる大学教授の資質、能力はその専門分野に関し極めて高度なものであることを要求されるものであることを併せ考えると、満六五年に達した際当然に停年延長が認められ、また一旦停年の延長が認められれば、以後五年間に亘り自動的に停年延長が認められるとすることは、右の趣旨に反することが明らかであり、これに前述の点を総合考慮すると前記2の事実が存したことを理由として被告明治大学工学部大学院専修科目担当教授の停年延長につき原告主張の慣行が存したとすることは到底できない。

よって右慣行が存在することを前提とする原告の主張は採用し得ない。

六  次に原告は、被告の明治大学工学部においては大学院専修科目担当教授の多くが満七〇年までその地位にあり、かつその主張にかかる事情が存する以上、被告が昭和六一年三月三一日をもって原告を退職させたことは権利の濫用である旨主張する。

確に先に認定したとおり右大学院専修科目担当教授の殆んどが満七〇年に達した年の年度末までその地位にあり、被告が合理的理由がないにもかかわらず原告を退職させたとするならばこれが権利濫用として無効となる余地もあるので以下検討する。

1  原告の再抗弁3(一)の主張について検討する。原告が前記東畑から大学院専修科目担当教授は満七〇年まで勤務しうるものである旨の説明を受けていることは前記のとおりであり、また(証拠略)原告本人尋問の結果によれば、右説明が原告をして本件雇用契約の締結を決意させる一因となったことが認められないわけではない。しかしながら、仮にそうであったとしても、前記のとおり右の説明は本件雇用契約の締結につき何らの権限も有しない東畑によってなされたものにすぎないから、右の説明があったことをもって、被告が原告を昭和六一年三月三一日限り停年により退職させたことを権利濫用とすることは当を得ないものといわなければならない。

2  原告の再抗弁3(二)について検討する。当時被告の一部教職員が大学院専修科目担当教授は満七〇年を停年とするものであるとの認識を有していたと認められることは前記のとおりである。また、(証拠略)によれば、被告は昭和五五年一月に教職員組合に対し、大学、短期大学の教員の停年を逐次延長し、最終的には右停年を満七〇年とすること等を内容とする停年制度改正案を提示していることが認められ、さらに被告が昭和六二年四月一日から大学及び短期大学の教員の停年を規則上満七〇年に改定したことは被告において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。しかして右事実によれば、被告の教職員の間においては大学院専修科目担当教授の停年が満七〇年と考える者がおり、さらに被告においても遅くとも昭和五五年ころから右の停年を満七〇年とする構想を有し、昭和六二年四月一日から停年規則を改正して右の停年を満七〇年と改めたことが明らかである。

しかしながら、大学院専修科目担当教授の停年は満七〇年であるとする認識が誤解にすぎなかったことはさきに認定したところから既に明らかであり、また原告が停年延長を認められなかったために、前記改定にかかる規則の適用を受けられず、その結果右規則の適用を受け得る者と比較し少なくとも結果的には不利益を受けたことは否定し難いところであるが、かかる事態は制度の改定又は新制度の導入に伴って多かれ少かれ必然的に生ずるものであってやむを得ないものといわなければならないものであるから、被告が原告を前記日時をもって停年により退職させたことを権利の濫用とすることは相当でない。

3  原告は、再抗弁3(三)ないし(五)において、被告の停年規則によれば、停年延長は「後任者を得難いとき」になされるものであるが、原告の停年延長打切に関してはこの点につき実質的審議は全くなされていないし、原告自身に反論、弁解の機会が与えられていないものであり、さらに昭和五六年一〇月三〇日の被告工学部教授会の決定以来、満六五年の停年に達した際投票により停年延長が認められればその後の更新は形式的、事務的に行われており、したがって投票による停年延長は五年間有効であるにもかかわらず、原告につき延長を認めなかったのは権利濫用である旨主張する。

そして(証拠略)、原告本人尋問の結果中には原告の主張に副う記載ないし供述が存する。

しかしながら、(証拠略)によれば、昭和五八年九月二〇日明治大学人事厚生課長より工学部長に対し、昭和五九年度中に停年に達する原告を含む一〇名の専任教員について停年延長を必要とする場合には同年一〇月末日までに手続を完了するよう申入れがあったこと、これより先の同年六月ごろから大学院の工業化学専攻内において停年該当者を除く教授及び助教授合計六名が停年該当者の停年延長について審議したところ、原告については学問研究及び教授内容の両面からみて業績が芳しくなく昭和五九年度の終了をもって退職させるのが相当であるとの意見とこれを否定する意見に分れ、投票の結果、前者の立場から停年規則第二条但書に基づく停年延長申請をすべきものとする者が四名、後者の立場から従来通り一年間の停年延長を認めるべきであるから第三条申請によることが相当であるとする者が二名となり、前者が多数を占めるに至ったが、後者即ち第三条申請によるべきであるとする者が二名いたことを重視し、第三条による停年延長申請をすることとし、工業化学科長の鈴木康雄が工学研究科委員会にその旨提案したこと、その際鈴木は原告に対し、右の経緯を伝え原告に一層の努力を促し、それが出来ない場合、翌年度は第二条但書による延長申請になること即ち一年間の停年延長が認められないおそれもあることを申し伝えたこと、同年七月一五日の工学研究科委員会において専攻別に各専攻主任から該当者について説明がなされ審議の結果、原告についても第三条による延長申請をなすことに決し、その旨大学院委員会に提案され、その後所定の手続を経て一年間の停年延長がなされたこと、しかし翌年度の停年延長につき昭和五九年六月ごろから大学院工業化学専攻内において、前年度同様慎重な審議がなされたが、原告の停年延長につき前年度同様の理由で問題となり、結局原告については研究及び教育上の観点からみて「後任者が得難いとき」には該当しないとして昭和六〇年度の終了をもって退任させること即ち第二条但書による申請をすることを全会一致で決定し、工学研究科委員会に提案したところ、同年七月一三日の工学研究科委員会において専攻別に各専攻主任から該当者について説明がなされ審議の結果原告については第二条但書による延長申請をなすことに決定し、その旨大学院委員会に提案され、同年七月二六日大学院委員会で同様審議決定し、同月三〇日大学院長から工学部長宛に、工学部教授会の議を経て理事会に対し第二条但書による停年延長申請の手続をとるよう依頼し、工学部長は右依頼に基づき工業化学科の教室会議に審議を付託したが、同会議で同様審議決定したので、工学部長は同年一〇月二六日の教授会に原告の停年を第二条但書により年度末まで延長申請することの可否を付議し、席上、工学部長からの説明及び工業化学科長からの教室会議の結論についての補足説明がなされたところ、出席者の中から投票により一旦停年が延長された以上右の延長は五年間有効であるなどの意見及びこれに反対する意見が出され、三時間に及ぶ審議がなされたものの途中退席者があり定足数が不足したため継続審議となったこと、なお同年一一月六日工学部の各学科の長らによる会合において、工業化学科長の鈴木康雄が原告につき第二条但書による申請をした理由として、原告の教授内容が不十分であり、かつ研究業績も芳しくないこと等前記「後任者を得難いとき」に該当しない旨の説明がなされ、これにつき質疑応答がなされ右説明が各教室に持帰られたこと、次いで同月九日教授会において前回に引続き原告の停年延長について、その可否が審議されたが、その席上、出席者より第三条申請として審議すべきものであるとの意見及び動議が出されたが、第二条但書による申請は工学研究科委員会で決定されたものであること等を理由として右動議は否決され全会一致で提案どおり可決されたこと、そこで工学部長は右決定に基づき同月二二日理事会に対し、りん議書をもって原告につき第二条但書による昭和六〇年度末までの延長を申請したこと、これに対し、同年一二月七日の工学研究科委員会において原告は第二条但書による申請は不当であるとして第三条申請によることを求め、その理由を詳細に述べ、さらに同月一四日の教授会において原告から停年延長問題について不当な措置である旨の意見が述べられ、さらに昭和六〇年一月一八日の教授会において話合いが行われ、席上原告も前同様の意見を述べたこと、次いで同年二月八日の教授会において第二条但書による延長申請に至った理由についても審議すべきではないかとする再審議を求める動議が出され、それにつき賛否の意見が出されたが、投票の結果再審議はしないことに決したこと、なお理事会は工学部長の前記申請を受け、所定の手続を経た上、昭和六〇年四月一日原告について第二条但書による年度末までの停年延長を決定し、被告は同日原告に対し停年を昭和六〇年一一月二二日から昭和六一年三月三一日まで延長する旨の辞令を交付したこと、以上の事実が認められる。(証拠略)、原告本人尋問の結果中いずれも右認定に反する部分は措信しない。

しかして右認定にかかる事実によれば、被告の明治大学工学部大学院工業化学専攻内及び工学研究科委員会においては昭和五九年、六〇年度の原告の停年延長について学問研究及び教育技術上の観点から後任者を得難いか否かにつき実質的審議を行っていたものというべきであり、また教授会においても右審議結果を受けて相当の審議を尽くしていたことが明らかであり、これに当該対象者の停年延長を相当とするか否かは専門的知識ないし判断に基づいてなされる必要があることからこれを行い得る専攻内及び工学研究科委員会の意向が尊重されてしかるべきであることを総合考慮すると、原告の停年延長問題については十分な審議が行われたものといわなければならない。

さらにまた前記認定事実によれば、確かに、原告につき停年規則第二条但書による停年延長申請をすることに決した昭和五九年一一月九日開催の教授会及びこれに先立つ諸会議において原告に対し意見を述べる機会を与えられなかったことは原告主張のとおりであるが、原告は同年一二月七日以降工学研究科委員会及び教授会において自己の意見を述べる機会を与えられてその意見を開陳し、その後昭和六〇年二月八日の教授会において原告の停年延長問題につき事実上の再審議が行われたことが明らかであるから、原告には自己の意見を述べる機会が与えられていたものといわなければならない。

したがって、原告の再抗弁3(三)(四)の主張もこれを採用することができない。

そしてまた、被告明治大学工学部においては、昭和五六年一〇月三〇日の前記工学部教授会の決定以来、満六五年に達した際教授会において投票により一旦停年延長申請をすることが認められれば、次年度よりは投票によらずして停年延長申請の可否を決していることは前記のとおりであるけれども、右投票によらずしてなされる決定も当該対象者の停年延長の可否につきこれを最も的確に評価しうる専攻内、研究科委員会の意向を尊重する趣旨でなされていたものであって、形式的、自動的になされたものではなく、また原告主張のごとく前記投票による停年延長に関する決定が五年間その効力を有する趣旨でなされたものでもないこと前記五3記載のとおりである。したがって、右停年延長にかかる決定が五年間有効であることを前提とする原告の再抗弁3(五)の主張も採用の限りでない。

4  また前記1ないし3の諸事実を併せ考慮しても原告を昭和六一年三月三一日をもって退職させた被告の措置が権利濫用になるものでもない。

七  以上の次第で原告の再抗弁はすべて理由がないから、原告は昭和六一年三月三一日をもって停年により被告を退職したものといわなければならない。したがって昭和六一年四月一日から昭和六三年三月三一日まで被告明治大学工学部の教授の職に在職したことを前提とし右期間の賃金等の支払を求める原告の本訴請求はその余の点を検討するまでもなく理由がない。

八  よって、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 福井厚士)

別紙(三)

〈省略〉

別紙(四) 教員の停年延長申請者及び承認者等人数表

〈省略〉

別紙(五) 年度別新規停年到達者人数表

〈省略〉

別紙(六) 年度別停年延長更新者人数表

〈省略〉

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